小中学生の頃、バレンタインデーの思い出

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このネタを書こうとしてたのだが、ちょっと、忙しかったりでバレンタインデーから、もう一週間以上過ぎてしまった。

賞味期限切れでごめんなさい。

 

バレンタインデーなどという習慣が始まったのは、僕が小学生高学年の頃と記憶する。

そして、はじめて、チョコレートを贈られたのもその頃だ。

小学校6年生。

二人の女の子から。

たぶん、その頃には、義理チョコなどという習慣はなかったので、結構、相手は本気だったのだと思う。

 

一人の女の子からは、直接手渡された。

「兄さんに言われて」などと、言い訳してたのは、後から思えば、恥ずかしさゆえだったのだろう。

もちろん、こちら、そんな気遣いをできるほどの精神年齢ではない。

その子といえば、まったく、意中に無いというか、思いがけなかった。

何の返事もできずに、そのまま。

何年か後に、ひとづてに、その子の弟の家庭教師をしてほしいという連絡があった。

その子が、思いをひきづって、そんなリクエストを出したのか・・知るところではないが、家庭教師の件は、丁重ににお断りを入れたと記憶する。

 

もう一人の女の子からは、学校の机の中に入れてあった。

入れてあったことに気づいたのは、バレンタインデーの何日か後だった。

「なかなか渡せず・・」などと、手紙が添えてあった。

結構本気だったのかも知れない。

もちろん、小学生の本気なのでたかだか知れているが。

しかし、こちらも、何の返事もできずに、そもまま。

その子と僕は、たぶんクラスで1番と2番を争うような成績で、普段、話すことも多く、たぶん、クラスで誰が一番好きかと問われれば、その子の名をあげたと思う。

それでも、そんなふうに、告白されて、何を返してあげたらいいかもわからないくらい、幼かった。

それで、そのまま。

なんかの拍子に、その子とおつきあいしてれば、今頃、お金持ちのおうちに、お婿に行けていたかもしれない(笑)。

 

中学一年の頃には、義理チョコというか、まぁ、流行として、男の子に女の子がチョコをあげるという風習ができていた。

僕はといえば、クラスの中では、結構目立ってたほうだったので、かなりの数の義理チョコを集めたものだった。

ちょうど、いまどき入手困難(笑)の、不二家ハートチョコレートが売り出された年だったと記憶する。

そのとき、不二家ハートチョコレートの包みをいくつか集めて応募すると何かくれる・・みたいなキャンペーンをやってて・・

「どんなチョコほしい?」

と、その子に聞かれて、僕は、不二家ハートチョコと答えてしまった。

欲しい物に応えたい・・その子の想いだった・・。

あとから考えれば、そうだったのだと思う。

その想いは、たくさんの不二家ハートチョコレートの義理チョコに紛れてしまった。

 

その子とは、たしか中学2年でも同じクラス。

席も隣だったこともあった。

長い髪がすてきだった。

その子の14歳の誕生日「14歳になったから、もう結婚できるんだよ」と言った。

「それじゃ、結婚しようか」と、冗談でも返せてたら、もしかしたら、いい関係になってたかもしれない。

お互いに好きだったのだと思う。

でも、お互いにその好きを現実化できなかった。

そんなふうに、幼かった。

もっと、あのとき、あんなふうに振舞えば・・と。

何年か後に、同窓会があって、その子とも再会。

でも、その子は、中学時代、長い髪をしていたことを忘れてた。

 

もう、何十年も前の淡い恋心を、毎年、バレンタインデーにちょっと思い出す。

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