高校時代の思い出は、どこまでも京浜東北線に乗って

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ブログタイトル下の口上にも語っている通り、さいたま生まれ、そして、さいたまの学校に通ってた。

高校時代、住んでいたのは旧大宮市の北のはずれ。東大宮というところ。

はずれに住んでるというのは、心象悪いので、当時は、大宮の最先端に住んでると表現していた。

そこから、電車に乗って、旧浦和市の学生街、北浦和駅まで通ってた。

 

ところで、その頃の電車事情といえば、埼京線も走ってない頃なので、大宮浦和近辺の住人にとって、東京といえば、新宿方面よりも上野方面のほうが、関係が深い。

新宿へ行くには、赤羽で乗り換えて、赤羽線で池袋で乗り換えて、山手線。子供の頃には、敷居の高い場所だった。

東北線や高崎線は上野まで。そして、京浜東北線はさらに南へと走っている。

 

高校時代の僕といえば、真面目に授業に参加してるでもなく、かといって、遊び歩いたり悪いことしてたりすることもない。

一例で云えば、授業中、授業は聴かずに夏目漱石の「行人」を読みふけっているような学生だった。

まぁ、その時期の子供としては普通に、それなりに精神不安定なところもあり、ふと、学校へ行きたくなくなるときもあった。

 

幸いなことに、僕の通っていた高校は、一日ぐらい無断で休んでも、特にかまわれないような学校だったので、

朝、学校へ行こうとして、ふと、行きたくなくなっちゃったときなど、自主休学となることも多かった。

 

冬はとくに。

とくに雪は苦手。それについては、また、別の機会に語ろうと思うが、雪の日の朝は殆ど学校へ行ってないと思う。

 

学校へ行かないとき(正確な気持ち的表現としては「行けないとき」だが)は、大宮から京浜東北線、北浦和を通り過ぎてどこまでも乗っていってしまう。

東京を過ぎて、横浜あたりで降りてみたりも多かった。

あるいは、横浜から乗り換えて、鎌倉あたりまで行くことも多かった。

 

横浜まで行って、港の見える丘、あるいは、大桟橋まで行って海を見たりしてたこともある。

鎌倉まで行って、砂浜を歩いたり。由比ガ浜から七里ガ浜をつたって、江ノ島までも歩いたり。

 

そんなふうに、一人で、知らない街で一日を過ごして、夕方くらいになると、やっぱり寂しくなってくるもの。

知らない街で自分だけ独りな気持ち。

帰ろう。

そんな、少しの寂しさの中、横浜あたりで、京浜東北線を待っていると・・・。

電車に、「大宮行き」と書いてあるのを見たときの安堵感。

これに乗れば、大宮に戻れるんだ、帰れるんだなぁ・・と。

 

そんな高校時代、冬の京浜東北線の思い出。

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