2007年2月のエントリー 一覧

小中学生の頃、バレンタインデーの思い出

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このネタを書こうとしてたのだが、ちょっと、忙しかったりでバレンタインデーから、もう一週間以上過ぎてしまった。

賞味期限切れでごめんなさい。

 

バレンタインデーなどという習慣が始まったのは、僕が小学生高学年の頃と記憶する。

そして、はじめて、チョコレートを贈られたのもその頃だ。

小学校6年生。

二人の女の子から。

たぶん、その頃には、義理チョコなどという習慣はなかったので、結構、相手は本気だったのだと思う。

 

一人の女の子からは、直接手渡された。

「兄さんに言われて」などと、言い訳してたのは、後から思えば、恥ずかしさゆえだったのだろう。

もちろん、こちら、そんな気遣いをできるほどの精神年齢ではない。

その子といえば、まったく、意中に無いというか、思いがけなかった。

何の返事もできずに、そのまま。

何年か後に、ひとづてに、その子の弟の家庭教師をしてほしいという連絡があった。

その子が、思いをひきづって、そんなリクエストを出したのか・・知るところではないが、家庭教師の件は、丁重ににお断りを入れたと記憶する。

 

もう一人の女の子からは、学校の机の中に入れてあった。

入れてあったことに気づいたのは、バレンタインデーの何日か後だった。

「なかなか渡せず・・」などと、手紙が添えてあった。

結構本気だったのかも知れない。

もちろん、小学生の本気なのでたかだか知れているが。

しかし、こちらも、何の返事もできずに、そもまま。

その子と僕は、たぶんクラスで1番と2番を争うような成績で、普段、話すことも多く、たぶん、クラスで誰が一番好きかと問われれば、その子の名をあげたと思う。

それでも、そんなふうに、告白されて、何を返してあげたらいいかもわからないくらい、幼かった。

それで、そのまま。

なんかの拍子に、その子とおつきあいしてれば、今頃、お金持ちのおうちに、お婿に行けていたかもしれない(笑)。

 

中学一年の頃には、義理チョコというか、まぁ、流行として、男の子に女の子がチョコをあげるという風習ができていた。

僕はといえば、クラスの中では、結構目立ってたほうだったので、かなりの数の義理チョコを集めたものだった。

ちょうど、いまどき入手困難(笑)の、不二家ハートチョコレートが売り出された年だったと記憶する。

そのとき、不二家ハートチョコレートの包みをいくつか集めて応募すると何かくれる・・みたいなキャンペーンをやってて・・

「どんなチョコほしい?」

と、その子に聞かれて、僕は、不二家ハートチョコと答えてしまった。

欲しい物に応えたい・・その子の想いだった・・。

あとから考えれば、そうだったのだと思う。

その想いは、たくさんの不二家ハートチョコレートの義理チョコに紛れてしまった。

 

その子とは、たしか中学2年でも同じクラス。

席も隣だったこともあった。

長い髪がすてきだった。

その子の14歳の誕生日「14歳になったから、もう結婚できるんだよ」と言った。

「それじゃ、結婚しようか」と、冗談でも返せてたら、もしかしたら、いい関係になってたかもしれない。

お互いに好きだったのだと思う。

でも、お互いにその好きを現実化できなかった。

そんなふうに、幼かった。

もっと、あのとき、あんなふうに振舞えば・・と。

何年か後に、同窓会があって、その子とも再会。

でも、その子は、中学時代、長い髪をしていたことを忘れてた。

 

もう、何十年も前の淡い恋心を、毎年、バレンタインデーにちょっと思い出す。

高校時代の思い出は、どこまでも京浜東北線に乗って

  • 更新日:

ブログタイトル下の口上にも語っている通り、さいたま生まれ、そして、さいたまの学校に通ってた。

高校時代、住んでいたのは旧大宮市の北のはずれ。東大宮というところ。

はずれに住んでるというのは、心象悪いので、当時は、大宮の最先端に住んでると表現していた。

そこから、電車に乗って、旧浦和市の学生街、北浦和駅まで通ってた。

 

ところで、その頃の電車事情といえば、埼京線も走ってない頃なので、大宮浦和近辺の住人にとって、東京といえば、新宿方面よりも上野方面のほうが、関係が深い。

新宿へ行くには、赤羽で乗り換えて、赤羽線で池袋で乗り換えて、山手線。子供の頃には、敷居の高い場所だった。

東北線や高崎線は上野まで。そして、京浜東北線はさらに南へと走っている。

 

高校時代の僕といえば、真面目に授業に参加してるでもなく、かといって、遊び歩いたり悪いことしてたりすることもない。

一例で云えば、授業中、授業は聴かずに夏目漱石の「行人」を読みふけっているような学生だった。

まぁ、その時期の子供としては普通に、それなりに精神不安定なところもあり、ふと、学校へ行きたくなくなるときもあった。

 

幸いなことに、僕の通っていた高校は、一日ぐらい無断で休んでも、特にかまわれないような学校だったので、

朝、学校へ行こうとして、ふと、行きたくなくなっちゃったときなど、自主休学となることも多かった。

 

冬はとくに。

とくに雪は苦手。それについては、また、別の機会に語ろうと思うが、雪の日の朝は殆ど学校へ行ってないと思う。

 

学校へ行かないとき(正確な気持ち的表現としては「行けないとき」だが)は、大宮から京浜東北線、北浦和を通り過ぎてどこまでも乗っていってしまう。

東京を過ぎて、横浜あたりで降りてみたりも多かった。

あるいは、横浜から乗り換えて、鎌倉あたりまで行くことも多かった。

 

横浜まで行って、港の見える丘、あるいは、大桟橋まで行って海を見たりしてたこともある。

鎌倉まで行って、砂浜を歩いたり。由比ガ浜から七里ガ浜をつたって、江ノ島までも歩いたり。

 

そんなふうに、一人で、知らない街で一日を過ごして、夕方くらいになると、やっぱり寂しくなってくるもの。

知らない街で自分だけ独りな気持ち。

帰ろう。

そんな、少しの寂しさの中、横浜あたりで、京浜東北線を待っていると・・・。

電車に、「大宮行き」と書いてあるのを見たときの安堵感。

これに乗れば、大宮に戻れるんだ、帰れるんだなぁ・・と。

 

そんな高校時代、冬の京浜東北線の思い出。

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さいたまのことについて語るブログです。
基本的にさいたまのことを語りますが、埼玉のことを語ってしまう場合もあるかも知れません。

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とーまん(頭慢)

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