子供の頃、川といえば見沼代用水だった

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子供の頃、東大宮というところで過ごしている。
幼い頃は、まだ、砂町(すなまち)という地名だったと思う。
  
小学校の近くを見沼代用水が流れていた。
地元民の通称としては、見沼代用水というよりも、「代」をとばして、「みぬまようすい」と云っていた。
 
見沼代用水は、その昔、そこらには見沼という大きな沼があって、江戸時代、吉宗さんの時代に井沢弥惣兵衛さんが、治水して大規模な農地を作った。
見沼の代用だから代用水。
西縁(にしべり)と東縁(ひがしべり)の2本の用水路を作り、排水路として芝川を整備した。
2本の用水と芝川を縦断する運河が、見沼通船堀。
元荒川との交差では用水路を川の下を通す「伏越(ふせこし)」の方法をとり、綾瀬川との交差では用水路を川の上に橋を架けて通す「掛樋(かけどい)」の方法をとるという、川の立体交差、当時最高の技術を駆使。
以上、見沼代用水よもやま知識。
 
さて、その用水路、今時分の季節になると水量が増える。
田植えの季節。
そのへんが農業用水ゆえだ。
そして、水量が増えると、子供たちにとっては、魚釣りの季節なのだった。
釣れるのは小ブナがメイン。
流れのあるところでは、ヤマベ(一般名でいえばオイカワ)が釣れた。
 
小学校低学年ころには、比較的近所での魚釣りだったが、高学年になるにつれ、自転車で結構遠くまで遠征をしていったものだった。
 
凝りだすとかなりな凝り性なのは子供の頃から。
お気に入りの漁場は、自転車で30分ぐらいだったか、今で言うと、東大宮から、ロジャース2大宮店方面へ向かって、新出戸橋(しんでんどばし)というのが、見沼代用水にかかってるあたり。
新出戸橋の上流に、もともとの出戸橋がかかってる。さらに、上流へと芝浦工大のほうへ向かうと、用水からの分水への引き込み口が湾のようになって小さな橋のかかってる場所が、かつてあった。
そこが、お気に入りの場所。
 
朝行けば、フナは入れ食い。
その他、ヤマベ・タナゴ・ドジョウ・ナマズ・キンギョ・ザリガニ・タニシを釣り上げた実績がある。
さらに、近くの林に入るとカブトムシまで採れた。
 
今くらいの季節から夏まで、よく通ったものだった。
そんな思い出。
ゆえ、今でも川が好き。

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