さいたま市東部には緑区があります。
緑区には「見沼田んぼ」と呼ばれている広い緑地地帯があります。
ここは江戸時代に開墾された1200ヘクタールもある新田だったところです。
見沼田んぼの地域は、元々は江戸時代の初めにこの地を治めていた関東郡代 伊奈半十郎忠治という人によって、川口市の木曾呂に長い堤防をつくって水をせき止められて出来た大きな溜池でした。
長い堤防は八丁堤(約700m)と呼ばれ、溜池のことは溜井と言われていたのでこの溜池は見沼溜井と呼ばれていました。
そして八丁堤より南の地区に新たに水田を作り、見沼溜井の水はその新田の灌漑用水として使われていました。
ところが、紀伊徳川家から徳川8代将軍として江戸に迎えられた徳川吉宗は、この溜池を無くして、溜池であったところも水田にするよう命じました。
吉宗が将軍になったころの江戸幕府は財政難となっていたため、吉宗は享保の改革を行い財政立て直しを図りました。
江戸時代の大名たちの収入源というのは、百姓から納めさせる年貢の米ですから、吉宗は新たに水田を増やすことを考えたのです。
見沼溜井は大宮から川口まで広がる大きな溜池だったので、これを水田に変えると大変な収入増になるわけです。
でも溜池がなくなってしまうと作物が作れなくなり百姓が困るので、溜池の代わりにはるか利根川から灌漑用の水を引くことが考えられました。
この時作られた川が見沼溜井の代わりの用水という意味から、見沼代用水という名前になったのです。
この代用水は2本作られ、見沼の東側を流れる川が東縁(ひがしべり)、西側を流れる川が西縁(にしべり)と名付けられました。
見沼の両側の川から水田に水を取り入れて、中心を流れている芝川という川から排水させるようにしました。
見沼溜井を干拓して田んぼにすることなどにより享保の改革は成功し、吉宗は江戸幕府の財政を立て直すことができたのです。
緑区にある公園はこの代用水沿いにつくられているものが多く、東縁にはさぎ山記念公園、見沼自然公園、大崎公園があります。
西縁には見沼氷川公園、大間木公園があります。
緑区にある公園でこのほかにあるのは埼玉スタジアム公園です。
大崎公園は3.9ヘクタールのあまり大きくない公園ですが何でもありの施設の充実した公園です。
池があります、芝生広場があります、小山があります、林があります、花壇の寄せ植えがあります、子供の遊具があります、ジャブジャブ池があります、木製遊具がありますと普通の公園にありそうなものは全てそろっています。
さらにここには動物園もあり、空中散歩できるサイクルモノレールもあるので小さな子もが楽しめる公園です。
この公園の池は釣りをすることができるので釣り人も集まる公園です。
桜の木も、公園内と公園前の見沼代用水沿いにたくさん植えられているので花見の時期は大賑わいとなります。
こんな公園ですからコタロウも喜んで散歩しますが、ここの公園も例外ではなく動物園はペットお断りで入ることはできません。
あまり広くない公園ですが、すぐ隣に園芸植物園があってこの中を散歩することができます。
同じく隣に見沼ヘルシーランドというところがあって、ここにも緑の広場と広くてきれいな芝生のグラウンドがあるので散歩することができます。
もっと散歩する気になれば公園前の見沼代用水沿いを散歩することができます。
ここは「緑のヘルシーロード」と名付けられた自転車と歩行者専用の散策路になっています。
でもこの道とても長く、行田市の利根大堰というところを起点として鴻巣市、騎西市、菖蒲市、白岡市、蓮田市、上尾市、さいたま市と続き終点は川口市のグリーンセンターで総延長56.5kmも続く道なのです。
駐車場はとても広く400台止められますがさらに120台分の臨時駐車場があるようです。
http://blog.ecity.ne.jp/takatoi/blog/detail/12558.html
さぎ山記念公園は、かつてこの地が野田のさぎ山と呼ばれていて、白鷺の大営巣地だったことを後世に残そうとしてつくられた公園です。
ここに白鷺たちが巣を作るようになったのは、徳川8代将軍吉宗の頃からです。
吉宗は享保の改革をして江戸幕府の財政を立て直そうとしました。
紀伊徳川家から将軍に迎えられた吉宗は、幕府の財政立て直しのため、それまで溜池だった見沼の水を全部下流に流しここを水田に変えました。
この時できた水田は、白鷺たちがエサを捕まえるのに丁度良い深さだったので徐々に白鷺が寄り付くようになりました。
その内集まってきた白鷺はこの地で巣をつくるようになりました。
白鷺の巣は木の上につくられるのですが、その内この辺の林は白鷺の巣でいっぱいになったのです。
白鷺の巣でいっぱいになった林をさぎ山と呼んでいますが、この地が紀伊徳川家のタカ狩の場である野田の里であったことから、この地を野田のさぎ山と呼ぶようになり、白鷺たちは紀伊殿御囲鷺とされて保護されることになりました。
そのため白鷺はどんどん増えていって、昭和27年には国の特別記念物に指定されるまでになりました。
さらに白鷺は増えていって、昭和36年頃には巣の数6000個、白鷺の数は30000羽にまでなったのです。
ところがその後、白鷺の数はどんどん減っていき他の地域に移ってしまうようになってしました。
いろいろ手当てして戻そうと試みたのですが白鷺は飛んで来ることはあっても巣は作らない状態になり、とうとう昭和47年には一匹も来なくなってしまいました。
そのため特別記念物の指定は昭和59年には解除となってしまいます。
いろいろ原因はあるのでしょうが、何といっても国の減反政策によって田んぼが少なくなったことが影響していることでしょうし、化学肥料や農薬などが使われだして白鷺のエサが得られなくなってしまったことにもよるものと思われます。
徳川時代から数えて250年間、ここにさぎ山があったことを記念して昭和61年5月にこの公園がつくられました。
この公園には、さぎ山の歴史が保存されているさぎ山記念館があります。
その他に修景池、水とメルヘンの広場、芝生広場、フィールドアスレチックの森があります。
フィールドアスレチックの森の奥には青少年野外活動センターという名前のキャンプ場があるのでバーベキューもできます。
ここの修景池は釣りをすることができるのでいつも多くの人が釣りをしています。
芝生広場はよく手入れされていてきれいになっていますが、ボール遊びは禁止になっているようます。
フィールドアスレチックは小山のようになった上にあり、大形のアスレチック遊具がたくさんあります。
この公園はあまり広くないので、子犬の散歩はこの公園とこの公園の隣にある見沼自然公園とを行ったり来たりすることになります。
さぎ山公園と見沼自然公園の境には、見沼代用水東縁が流れていますので散歩目的でしたら延々と続く緑のヘルシーロードへ向かうのもよいのではないでしょうか。
ここの駐車場は42台分の広さですが、土日などには一杯になってしまうと思います。ここの駐車場より多少広い見沼自然公園の駐車場にとめるのも一案かと思います。
釣りの常連の人たちの中には、見沼代用水沿いに路上駐車している人たちもいそうです。
http://blog.ecity.ne.jp/takatoi/blog/detail/5119.html
見沼自然公園は、さぎ山公園の隣に、平成17年10月にできた新しい公園です。
この公園はさぎ山公園のように公園らしくきれいな作りにはなっておらず、余り手が入っていない風につくられています。
公園の構成としては、ピクニックなどができる大きな芝生があるゾーンと、雑然さを残した自然観察ゾーンに分けられます。
公園入り口のエントランス部分は石板を敷いたしっかりしたものにしてありますが、公園の中はできるだけ自然らしさを残していこうと意識しているように見えます。
入口を入ると大きな芝生広場になり、その先には小さな島が浮かぶ池があってたくさんの水鳥が泳ぎ回っています。
この池にはコイやカメなどがたくさんいるほか、蓮も植えられていますので7月頃になるときれいなハスの花も眺めることができます。
池の途中には怪獣か鳥の形をした変わったゲージみたいなものがありますが、ここで小鳥でも飼育しているのでしょうか。それともホタルの飼育場所なのでしょうか。
芝生広場には何もないのですが、江戸時代に徳川吉宗の命を受けて見沼田んぼの干拓を行った幕府勘定方井澤弥惣兵衛為永という人の銅像がぽつんと立っています。
この池の奥には小さな池のあるところがあり、自然観察園と呼んでいるエリアになります。
ここはトンボなどの昆虫類を保護して自然を残していこうとしているところです。
さらにその奥に進むと野鳥の池があります。
ここはアシがうっそうと茂った池で木道がつくられていますが、木道から何を見ればよいのだろうと言いたくなるように雑草のアシしか見えません。
散策路をさらに進むとあずまやのある日本庭園風のところに出ますが、ここもほとんど何もないようなところです。
この公園の池は釣りが禁止になっていますが、隣にあるさぎ山公園の池が釣りOKですので釣り好きの人でも支障はないでしょう。
また子供の遊具類は全くないので、子供たちはさぎ山公園で遊ぶことになるでしょう。
駐車場は臨時駐車場もあるのでかなりの台数止められると思います。
http://blog.ecity.ne.jp/takatoi/blog/detail/14411.html
見沼氷川公園は見沼代用水の西縁沿いにある公園で、平成5年4月に開園されました。
見沼という地名は見沼という灌漑用の大きな沼があったことから付けられた名前ですが、その昔は御沼(みぬま)とも書かれた神聖な沼でもありました。
見沼氷川公園はこの沼の底であった所にできている公園ですが、公園の横を流れている見沼代用水に架かっている赤い橋を渡ったところには氷川女体神社があります。
この神社は見沼の水を無くして水田にする前からできていた神社で、公園からは急な石段を登ったところに社が建っています。
この神社は沼の淵に元々は建てられていたのでこの神社より下が沼の中だったのです。
神社は一の宮氷川女体神社と言いますが、一の宮というのは神社の中で格が一番上だという意味だそうです。
全国に一の宮はあるのですが武蔵の国にある一の宮は、大宮にある一の宮氷川神社とこの神社の他には東京の府中市にある小野神社しかありません。
御沼というのは格の高い神社が二つも沼の淵に建っている神聖な沼という意味のようでした。
緑区にある公園はそのほとんどがかつて見沼の底だったところを水田に変えさせられたところを公園にしたものです。
江戸時代に徳川吉宗によって田んぼにされましたが、その後昭和9年には当時の東京市は水田を池に戻して、東京の水がめとなる貯水池に変えようと計画しました。
でも農民の反対に合いこの計画は撤回されてしまいました。
そのためしばらくは田んぼの状態は続いていったのですが、国の減反政策により田んぼは次々と消えていき、畑など他の用途のものに変っていったのです。
昭和40年に見沼三原則という取り決めができて、見沼地区を農地以外に転用することに対して制限ができ、この地は住宅や工場などにすることができなくなりました。
車で周辺からこの地区に入ると、誰もが一風変わった印象を感じるのではないでしょうか。
見沼氷川公園は芝生広場、池、ハーブ園だけくらいの公園です。
子供の遊具などは全くありません。
公園内は回遊するよう散策路ができていますが、駐車場を出ると右手に二つの小さな建物がありますが一つはトイレです。
公園の中心には池がありその前が芝生広場になっています。
ここの芝生は沼地の上にあるのでふかふかした感じがします。
右手奥に進むと水鳥や魚がたくさんいる古そうな池に出ます。
この池は江戸時代まで氷川女体神社で行われていた磐船祭という祭礼で使われていたところを保存してあるところです。現在はこの祭礼は行っていないそうです。
その先を進むとハーブ園に出ます。
ここにはあずまやもありのんびり見沼田んぼの景色を眺めていることもできます。
さらに進むと見沼代用水に当たりますがこの左側に赤い神橋が見えます。
神橋を渡って急階段を登ると氷川女体神社に入りますが、反対側は磐船祭の行われていた場所になります。
そしてこの先を進むとパーゴラがあったりする芝生広場にでます。
その先にこの公園の入り口がありますが、入口を入った正面にかかしの銅像が建っています。
この銅像は昔小学唱歌で歌った山田の中の一本足のかかし〜のかかしだそうです。
この歌の作詞者の武笠三という人がこの辺の景色を眺めて作詞したそうです。
子犬の散歩では公園を一周することが多いのですが、この公園はあまり広くないのでそれだけでは少し物足りない気がします。
運動量としては氷川女体神社の急階段を上り下りすればよいのかもしれません。
この公園はサクラの木も多く花見にはいいと思います。
駐車場は広くないので直ぐ一杯になりそうです。
そのためか氷川女体神社前の道路などに路上駐車する車も多くあります。
http://blog.ecity.ne.jp/takatoi/blog/detail/6983.html
大間木公園は武蔵野線東浦和駅からすぐにある公園です。
公園と言ってもソフトボール場が4面、サッカー場が1面とゲートボール場があるくらいの運動公園です。
この公園の特徴はゲートボール場が6面もあることではないでしょうか。
今までいろいろ公園を見てきましたが、ゲートボール場ががこんなにある公園はなかったと思います。
それと平成19年4月からさいたま市初の市営ドッグランができたことです。
グラウンドの端の方に公園らしい部分があるので、コタロウは公園の周りを歩いて散歩するのですが、あまり大きな公園ではないので直ぐ一周してしまいます。
そのためこの公園に来た時は近くにある見沼通船掘り公園にもよりますが、この公園はもっと小さな公園ですので、さらに見沼通船掘跡から芝川縁へと足をのばします。
公園の周りは見沼田んぼの景色ですが、今は田んぼはほとんどなく畑か何もしていない風のところばかりです。
芝川には、近頃あまり目にすることのない木の橋もかかっていたりします。
でも川の周りに粗大ごみなどがたくさん散らかっているのは気になります。
見沼代用水は8代将軍吉宗の命により見沼田んぼの農業用水用につくられましたが船便による物資の輸送用にも使われました。
現在の物資の輸送はトラック便が主ですが、しばらく前は鉄道便が主でした。
その前になりますと物資を大量に運ぶ方法としては船しかなかったのです。
見沼田んぼは、東縁、西縁の2本の見沼代用水から新しい水を取り入れ、古い水は芝川を使って東京湾に流していました。
そのため見沼代用水と芝川は高さの違うところを流れていて、その差は3mありました。
見沼田んぼでできた米を江戸に運ぶには、見沼代用水を使って船で運びますが、見沼通船掘りのところを運河にして水の高さを変えて船を芝川に移していたのです。
パナマ運河と同じ原理で船の移動をしていたのですが、この方法は船便がなくなる昭和の初めまで行われていたようです。
実際見てみるとこんなところで本当にできていたのと思わせる程度の規模のものです。
大間木公園とドッグランにはそれぞれ駐車場がありますので通常は駐車には困らないような気がします。
緑区にある公園は、以上の見沼代用水沿いの公園の他に埼玉スタジアム2002公園がありますが、この公園はサッカー専用のスタジアムで平成13年10月にオープンしました。
サッカー専用スタジアムでは日本最大で63700人収容できます。
ここにはメインスタジアム以外に第2〜第4グラウンドとフットサルコート2面があります。
グラウンドの他には、水の広場、ちびっこ広場、もみの木広場、滝の広場、モニュメント広場などと調整池があります。
コタロウが歩いて回るところがたくさんあるので、子犬の散歩としては良い公園です。
広場がたくさんありますが、子供の遊具としてはちびっこ広場にすべり台があるくらいです。なのでちびっこ広場と言ってもただの芝生の広場のようです。
この広場にはサッカーボールのモニュメントみたいなものと小さなゴールがありますがこれも遊具の一種なのでしょうか。
公園内は植栽がよく手入れされていてますし芝生もとてもきれいです。
もみの木広場も私には芝生だけの広場のように感じました。
滝の広場と水の広場(噴水があります)は夏季には水を流すのでしょうが、私が訪れた時には水は出ていませんでした。
調整池の周りもきれいにしてあって、池の淵から周辺の景色を眺められます。
駐車場は正面駐車場が無料で500台止められますので全く心配ありませんが、全部で1000台駐車できるようです。
でもJリーグのような大きな試合がある時は、一般の車は駐車することができません。
コメントする
※ コメントは認証されるまで公開されません。ご了承くださいませ。