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コトブスって、どこでしょう?
<ポーランド語でも書いてある・・>
ベルリンから電車で東に1時間半、コトブスはポーランド国境にほど近い静かな町でした。
なぜコトブスなの?
ここには長女の通っていた「埼玉県立某高校」の姉妹校があるんです。去年の夏、交換留学で受け入れた子たちに会いに、はるばるやってきたのよ、私たち。
<なぜか、ハリボテ風・・>
もちろんここは、旧東ドイツ側。旧東側は今もって、貧しいだのボコボコの車が走っているだの言われていますが、ここコトブスを見る限りではそんなことナイナイナイ。
車は少ないけどきれいなのばっかり、道はドドーンと広いし、町も再開発されており、古くて美しい建物を直して使いつつ、一方ではピッカピカのショッピングセンターもできている。食べ物も美味しくて(少なくともオランダよりは)物価もお安め。
もひとつオランダと違うのはとっても静かなこと。夜、みんなカフェでビール、というのは同じなんだけど、みんな静かに飲んで語ってる。バックミュージックもなし、バカ騒ぎもなし。いやー、ドイツが静かだ、っていうのは聞いていましたが、オトナの国でんな〜。
<コトブス市のシンボル、えび?>
さてムスメたちは感動の再会を果たし、私たちはベルリンへと移動しました。
<ブランデンブルグ門>
<大聖堂>
<首相府 Dって書いてある!>
<連邦議会議事堂>
いやはやベルリンはいまやドイツの首都。かつて栄華を誇ったころのドでかい、威圧感のある、でも美しい建物と、超近代的な施設の混在する、堂々たる大都会でありました。
<かべは今や、オブジェです>
それでもこの地を歩いていると、その重たーい歴史と数々の悲劇が思われ、今、そしてこれからの平和を願い、胸がつまって涙が出そうになった、たけじろうでした。
<”壁のあと”はこんなかんじ>
PS. 17棟の博物館美術館が立ち並ぶ「博物館島」もスゴかった!!
<ペルガモン博物館、の中!だよ>
(Cさん、行きました!)
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マルタ島へ行ってきました。この世の楽園のようなところでした!・・というわけで「ロッテルダム日本人学校」のおはなしの前に、マルタのレポートをお届けします。
なぜマルタか? それは家族会議のすったもんだの末、長女の「暑いときには海に行きたい!」という強硬な主張から。「それもそうだね」「どうせなら南のほうに行こう」、という軽いノリで、そう写真のようなイメージで決めたのでした。
<こういうビーチもけっこうあります>
「お気楽ビーチリゾート満喫、しかも地中海!」 うきうきと乗り込んだ私たちを迎えたのは、降り注ぐ太陽と、どこまでも透明な海と(ここまでは予想どおり)7000年にも及ぶ、ドラマティックな歴史でした(知らなかったー)
<石灰岩(ライムストーン)でできた町>
とにかくマルタの歴史はスゴイ!石灰岩でできている、という事情と地中海のまんなかにある、という立地、それと温暖な気候によって、古くは紀元前5200年ごろから人が住み、エジプトのピラミッドより500年〜1000年は古い、つまり世界最古の建造物を残しています。
<巨石神殿>
紀元前10〜8世紀ごろからはフェニキア人が、その後カルタゴ、ローマ帝国、ビザンチン帝国、サラセン人(遠い昔に習ったねえ、これらのコト)などに次々と支配され、その後、南欧列国の支配下になって、ヨハネ騎士団の領土となり、オスマントルコと戦って、その後ナポレオンに支配され・・・(ああ疲れた・・)
結局独立するまではイギリス領だったんだって。(近いからイタリアの一部かと思ってた・・) どうりでマルタ人はほぼ100%英語が話せるそうです。ちなみに母国語はマルタ語、通貨はまだLm(マルタリラ)だけど、2008年から€になるよ!
<町中どこでも、絵になるね>
写真を見ても「なんか乾燥してるな」って感じがするでしょ?それもそのはず、年間10日くらいしか雨の日がありません。そのため太陽大好きな欧州人観光客がわんさか。加えて町には、昨今はやりの「夏休み英語研修短期留学」で来た、各国の学生があふれてる。”欧州の英語圏”てことなんだろうけど、すごかったよ、彼らの奔放さ。夜の町なかなんて「人種のるつぼ、ナンパのるつぼ」でしたよね。
”外国語覚えるにはその国の恋人つくるのが一番”とかいうけれど、親としてはちょっと。お金ドブ捨て、ってかんじ。 ま、彼らはきわめて楽しそうではありましたが。
<ブルーグロット>
マルタは面積320平方kmの小さな独立国だけど、世界遺産がいっぱい、観光客もいっぱい。でも海はものすごくきれいだし、乱開発もされていない。それは、交通機関(Air MaltaとかMaltaバスとか)やエネルギー機関や開発機関などがみんな国営で、直通便の行き先・受け入れ先まで細かく管理されているからだそう。 国策がしっかりしてる、っていうんでしょうかねえ、環境保護と観光地としての繁栄とがみごとに共存した、マルタはまさに、この世のパラダイスでありました。
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さて、何やさんでしょう? ってまたその話?前回から1ヶ月近くたってるのにー?違います。今日はマジな、学校の話。で、これは長女の通うインターナショナル・セカンダリー・スクール・オブアイントホーフェン(ISSE)にあるお菓子の売店。
この学校ではam10:30ごろとお昼休みに、PTAがボランティアでキャンティーンと称するフードサービスのお店を開けていて、生徒や先生たちがガバガバ買いにくる。売っているものはお菓子(写真)、サンドイッチやバーガー(ボランティアが作る)、コロッケ、マフィン、ドーナツ(ボランティアが解凍・加熱)、カップ麺やスープ、のみものなど。つまり長女の大好きなスナック類ですよ。ほとんどの子どもたちがランチも持ってこないで、ここで買って食べてるみたいだけど、お値段リーズナブルのうえヘルシー&フレッシュ。
日本での高校時代から必ずお菓子を持って登校していた((>_<)らしい・・)長女としては、学校でオープンにお菓子が食べられるということ、もしくはその事実に象徴される学校のユルーイ雰囲気が、いたく気に入っているようで、
毎日たのしそうに通学しています。
<ポテチもあるで〜>
初めて親子で学校に見学に行って驚いたのは、生徒たちがすごくオープンでフレンドリーなこと。長女と同じ15・6才の女の子2人がごく自然に「ハーイ、今度入学するの?グレードはいくつ?」と話かけてくれたのには、長女も嬉しかったみたい。その後も彼女たちとは仲良しなんだって。先生に連れられて校内を見学しているときも、目が合うと気軽に「ハロー」「ハーイ」と挨拶してくれる子どもたち。先生に「みんなフレンドりーですね」というと「英語のニガ手な転校生が来るのがフツー、という学校ですから」 ナルホド。これなら我が娘の転校初体験もスムーズかも、とホッと胸をなでおろしました。
しかし、日本で予想し危惧していたように、高等教育を外国語で受けて理解するという現実は、やはり厳しかった!ISSEではIB(インターナショナル・バカロレア)という大学入資格取得を目標としていて、このテストがかなりの難関、加えて準備期間2年間はレポート&プレゼンテーションの嵐(もち英語で)というもので、「もう一年かけたほうが、より良い成果が上がると確信するわ」とかなんとかいう内容の指導教官のひとことで、留年・落第も続出。現に今のクラス内にも14才から18才までの生徒がいるんだって(てことはトビ級もアリなのね・・)
まあこちらでは、その先生の意見にも「いえ、わたしは進級して生まれ変わり絶大な成果をあげて見せます」と宣言すれば進級できるようで、「留年!ガガーン」という悲壮感はなく、たいていは「わかりました。もう一年かけて、良い成果をめざしまーす」と納得してダブる生徒が多いみたいだけど。さてお菓子がたのしみなわが長女、卒業までに何年かかるのでしょうか?(ふ、不安だわ・・)
授業は厳しいけれど学校生活は、キャンプあり、パーティーあり、スポーツあり、規律なし、ですごく楽しそう。親の心配をよそに本人は何年でもいたい、なんて思っていたりしてね。 学生生活の詳細はISSEのHPをご覧ください。
http://www.isse-school.nl/
次回は次女の通う 「ロッテルダム日本人学校」 のレポートをお送りします。